香霖堂の連載を始めてから、既に二年ほど経つ。確か最初の話では半年(六話)の約束だった様な気がするが、気が付くと既に十八話目。
そんな先日、次の香霖堂の打ち合わせの場での話。かねてから思う疑問をぶつけてみる。
私「いやぁ、ライトノベルでもないしミステリでもないし、霖之助のとんでもだけが強調されてキャラクタ物としてあり得ない内容でしょう。これ(香霖堂)ってほんと、どんな人に向けた内容なんでしょうね(笑)」
ピュアガールの時代で、もの凄く浮いている事が判っていたはず……。
担当の人「それは勿論。私が読みたいんですよ(笑)」
ああ妙に納得。最初の半年が終わって延長したのも、ピュアガール自体が廃刊になっても別雑誌で連載できたのも、雑誌からWebになっても継続したのもそういう理由なら判る。
私も香霖堂を書いているときが非常に楽しい。霖之助が見ている世界は私の想像と少しずれていて刺激になる。問題は、どこに連載しても場に合ってなく、ビブロスさんに貢献できていると言えないところですが……
さてさて、私にとってネットが、情報を探す場所から、誰かが纏めてくれた情報を見る場所になってからかなり経つ。ニュースはもちろんのこと、面白いネタも自分で探すまでもなく見つかるし、誰かから教えて貰える。
人気のあるサイトも、面白いネタやニュースを纏めた日記などに集中する。
自分で探さなくなった理由は、情報が多すぎて探しようがないのと、生の情報は読みにくくて勘違いしやすいと言うこと、纏める方のスキルとスピードが高くなったと言うこと、新しくない情報はGoogleだけあれば事足りると言うこと、などがあげられる。
実は、自分で能動的にネットを見なくなった時点で、TVを眺めているのと変わらなくなっている事に気付く。マスコミは自分の価値観で情報を纏めて提供してくれる。それが一つ一つの規模が小さくなって、企業や個人が情報を纏めて翻訳してくれる様になっただけだ。人間ってつくづく横着だなと思う。
それより何より、能動的ではないネットは退屈だ。TVでは情報が恣意的に歪められる、と言うのがネットではよく言われるテーマの一つだが、誰かが纏めたネットの情報も全く同じ事。むしろ元が個人であればあるほど(そんなつもりは無くても)偏りやすい。偏れば無益な諍いも起こるし、真実が歪められやすい。何より、それを受けるだけでは退屈だ。
私は、ネットで目的もなく情報を見るときは、何か一つ信念を持って読む事をおすすめする。まず自分のイメージを持たせる事が効果的で、それには日記が一番だ。日記は些細な変化も見逃さず、それを増幅する真空管アンプの様な物(幻想郷の誰かが言ってたような……)なのだ。
ただ耳に聴いているだけで判った気になるのが耳学問。TVでもネットでも、情報元が変わっただけでは耳学問は変わらない。そこから、自分フィルタを通して情報を考察、変換して吸収する、それとほんの少しのお酒が毎日を楽しくする。それで面白いネットをもっと面白くするであろう。
そうそう、最後にもう一つ。文花帖の発売と同時に、旧作の再販もいくつか行われると思います。全種類あると思いますので、もし持っていない物があったら今の内に是非是非。