部屋の中が寺院っぽい香りで一杯である。暇じゃなかったので数学の本を読んでいた。しびれるまでに数学は美しい。つくづく人間の知的レベルを計る事が出来るのは、文学と哲学と数学だけだと思うのであった。
さっきから寺院っぽい香りがする。

その正体は、パチュリー。
しかも陰陽箱にパチュリー。

このパチュリーがまた寺院臭がする。強いて言えば古い寺院で土と黴まみれといった香り、いや臭い。
そりゃそうである。大図書館は地下に存在して、殆ど日が当たらない、かびた本もありそう、妙な儀式も行うから変な臭いがしそう……
とそういった感じだからこのお香はパチュリーと呼ばれるのだ。
最近、音楽活動が楽しい。しかし、自分の音楽の根底に何が横たわってるのかを考えないで作った曲はつまらない。
音楽は人を楽しませる「実」のあるものなのだ。しかし不思議なことに美しさは「虚」の部分にのみ存在する。役に立つから学ぶと言うのは、私は面白くないと思う。美しいから考えると言う方が面白いじゃないか。
だから数学が面白い。数学の美しさが曲にも表れてくると作曲も楽しい。そう思えてならない。
ま、ホリエモン騒動で反省したら、実用的な事(金を稼ぐ事)以外の行動を否定する風潮を無くしていただきたい。(つまりは、子供は英語や専門学の前に数学や哲学だと<英語苦手だった)